自分が幼かったころの目の病は不治の病だったように思っていました
自分の母と同じ
年代だろうと思われる近所の人に目が何かに患っているのではないかと思はれる人がいました。
目の中の黒目が白くなっていた人に、緑いろになっている人もいました、その人が近所で話している内容は、これは(目の病)はあちらの世界に行かなければ治らないのだ と 言っている!
悲しいかな目の専門医がなかったしあるにせよそこまで行く為の旅費が大変な時代だ、そんな時代は今からさかのぼる事、約「60年」もまえのことでそんな時に目の病に侵されている人を見るのが怖かった・?
小学校の身体検査は頻繁に行っていた!
身体検査の内容は「体重」「身長」「胸囲」「座高」などベルトコンベアで運ばれるように次々と動き回ったのを思いだします。
そんな検査の中に「トラホ-ム」の検査もあったのです。
担当の医師の前に座るとすぐさま、瞼をひっくり返して何やら言うのですが、医師「お医者様」が怖かったので早く終わってほしかったことだけで、ただオドオドしていた。
小学校も高学年になった頃でも「目」の検査も頻繁に行われていました自分の番の眼検査が終わりホットしていた時 怖い「職員室」に呼び出され担任の先生に、○○君の目は「疑似トラホ-ム」になっているそうだから注意するように! ガン-!
自分は将来「盲目」になる!
自分の住んでいる近くにすでに「目」が白くなったり緑色になっている人を見ている自分は「ショック」で目の前が真っ暗になった。
「トラホ-ム」の疑いがあると言われて「疑似」なのに目の前が真っ暗になった。
現在の綺麗な水道の水ではなく、各家庭で井戸をほり、ポンプで水を汲んでいた頃ですから、貯めていた水で炊事、洗濯、風呂、洗面などをしていたのです。
朝は、あっちこっちがべこ凹の洗面器に井戸からポンプで汲み上げた貴重な水・・?で毎朝顔を洗っていたのです。
そんな時の顔の洗い方も「カラスの行水」? 洗うというより濡らすと言った方が「ピッタリ」の不衛生な洗顔・・? 生活だった。
眼の検査結果!
職員室で怖い先生に目の検査結果を聞かされ「ショック」でなんにも手に着かない。
自分は将来、母の知り合いが患っているようなことになる。
自分で出来る眼の健康法は洗面器で眼をあけて洗うことだった。
そんな素人療法でも、次回の眼の検査では何も言われなかった ゾ・!
小学校時代のトラウマで大人になっても眼の健康にはいつも不安に思っていた。
老人は目が弱くなる!
老人になれば口には出さないがめは弱くなるのだろうと思っていた。
自分も歳を重ねてきたのだから、身体も眼も疲れて来たのだろう・・!と自分を慰めていた。
これで分かった!
何かの会合が少し遠くの会場で夜6時から始まるのですが、その会合が終わると「懇親会」と言う酒の場でもあったので、自転車で会合に出た。
懇親会まで参加し自転車で返る時驚いた漫画に描かれている ようなる光が見えた煌びやかな眩しいその光は自動車のライトです、夜の自動車のライトで目の前が真っ白ろくキラキラ輝き自分の周辺がみえなくなるのです。
夜に見る時計がなんとなくボンヤリ? 全体の見え方がなんとなく暗い?これは? 年齢「加齢」だけででこうなるのではないだろう・・?
ヒヨットして「トラホ-ム」不治の病になったか・・?嫌な思いをしている小学校時代の眼の「疑似トラホ-ム」診察を思いだし不安でいるのも嫌なので「眼科」に行って検査をしてもらった貰った結果は・・「白内障」だった もうダメか・・?
眼科の先生がその場で「手術」で治りますよ と 言うのです・?エッ?続けていうのは、この手術は2週間後でないと出ないと思いますので受付で日取りを決めて下さい・?ナ、なんと狐につままれた!
手術は本当に楽だった !
そんなに「白内障」の手術をする人がいるのか・なーんだ、そうか「ホッ」手術日を受付で決めて、帰るときに思った、今は時代が変わった眼を手術する・のだ・・?
手術日に不安を持ちながら、手術室に入り・! 10分で「ハイ」終わりましたよ、こっちに来てください・ナニッ??
今日は車の運転はしないように、髪を洗うのもやめて下さい ネ ・・?だと あんなに不安だったのに、こんなに簡単に「手術」が終わる。
手術の次の日検査で時間指定で眼科に行き、検査を終え眼帯を外した瞬間見える世界が変わったのです。
おわりに
終わってみれば眼の手術は簡単「医師」に叱られそうですが簡単に思えた当然、眼科医の腕の良さあったと思います、評判の通りでした。
見えにくくなっている「ボンヤリ」してきた、なんとなく夜明けが遅い等と感じているのであれば眼の検査はした方が良いのでしょう。
運転免許証の更新で見え方がいまいち不安な方は一度「眼」の検査をした方がいいと思います、見え方が全く別世界で不安も消えます。
メガネ、目薬、では見え方の改善はないと経験上勝手に思います。