あんな鉄の塊が動くとは何なんですか・?

昔の鉄の塊まりブルド-ザーのエンジンはこうして始動していた。

筆者が初めてブルドーザ-を見た時は何だこの鉄の塊は思いました。・・?

当時の運搬作業は馬か牛だった、たまに見ることが出来る自動車は改田作業で(内務省)使う自動車は今で言う4トント位のラックだったと思います。

今 記憶をたどれば・?内務省・・?が持っていたと思われるのですが、本当に、たまに走ってくるのを見るのですが、当時の道路事情は砂利道で自動車が来ると砂煙で遠くから走ってくるのが見えたものだった、それほど交通量も無かった。

砂利道に砂煙が立てば走って自動車(トラック)を見にいったのです・・?

そんな時代のブルド-ザ-はマダ整地されていない荒れ野原の整地に使われるのだったのですが悪ガキが見に行く時は何時うごくのかと思うようにドント止っていた。

筆者の少ない学校の休日でもたまに鉄の塊ブルド-ザ-の動く時があった轟音を響かせ荒地(砂利野原)の整地をしているのです。(化け物)

整地作業は砂利川原の石を平らにする(改田作業)ために砂利を押して高低を少なくする作業だった。

当時の整地作業は人馬一体の作業で1週間以上でも到底無理な作業をブルド-ザ-で簡単に1日で完了させてしまうよなお化け機械に見えた。

こんな、とんでもない鉄の塊のエンジンはどうして(エンジン始動)発動させるのかを当時の腕白どもは見たかった、筆者も当然腕白小僧の1員でしたからあんなでっかいエンジンを誰が始動させるのかと興味が頭から離れなかった。

まさかのエンジン始動方法!

腕白どもの少ない休日のときでも鉄の塊が動くとこがあったし、運良く発動機(エンジンを始動)を始動させる場面に出会う時もあった。

その頃でもチラホラと耕運機が見えていたがその耕運機を掛けるのに、エンジンについているフライホイルを手で回して一苦労して掛けていたのです。

耕運機のエンジンを冷やすのにはシリンダ-の上に水タンクがありそに水を入れて水冷のエンジンになっていた、その頃自動車はフロントバンパーの真ん中にクランク棒を入れる穴がありそこにクランク棒を刺して腕力でエンジンを始動していた。(逆回転の不安を持ちながら

「空冷」の小さいエンジンの耕運機も出始めてきましたがエンジンの始動はホイルに始動ロープを巻き思い切り引っ張りエンジンを回していましたがたなかなか発動しないのです、それでも相当はに高額な機械(発動機)だったのです。

バッテリーもセルモーターなかった・・!

スリップ式始動・・?? 今の車で当たり前のセルモ-タ-の役割です。

そんな時代の鉄の塊ブルド-ザ-のエンジンをかけるのには「エッ」と思う方法でデッカイ鉄の塊を始動させていました。

いち農家ではそんなに簡単に買えないと思われる高額な空冷の単気筒エンジンがブルド-ザ-のエンジンの脇に取り付けられていた・・!?

空冷の単気筒エンジンのホイルに細いロ-プを巻いて始めに空冷エンジンを(始動)し回転しているエンジンのプーリ-をブルド-ザ-の大きなフライホイルのにこすり付けてあのでっかいエンジンをかけていたのです。(セルモ-タ-?)

小さいエンジンでドデカイエンジンをて回して発動していた、始動を始めた鉄の塊が回り始る時の ドッドッ とうなる音は只々驚きだったし今でもその当時の光景いが想い出されます。

回り始めたエンジンの音の大きさはとんでもないものでした。

牛馬が遠くで鳴くのが聞こえるほど静かな空にあのでっかいエンジンを別のエンジンでかけて発動するさまの轟音は本当にすさまじかった。

隣にいる相手の耳に両手でメガホンを作って話さないと聞こえない程の轟音だったと記憶しています。

おわりに

今のエンジンは、押しボタンかキ-でなんの苦労もなしにエンジンが回り出すのです、今時、エンジンがかからない回らいなどと言えばどこの話だと笑われてしまいます。

今振り返って考えてみると、大げさに言えば AU のテレビ宣伝のような場面に鉄の塊がキャタピラを回して画面に出てくるようなものだったように思うのです。

当時は発動機のエンジンが回る、かかることはとても大変で一発で始動しようものなら万歳ものだった。

揮発油(ガソリン)を始動用コックに入れて発火しやすいようにして発動機のフライホイルを腕力で回してかけていたんです。

50年も前の二輪車は・・?

知らいとこんな事「大赤恥」

大昔の話、今はなくなった「混合油」のエンジンのことです。

混合油とエンジンオイル ?

昭和39年  

東京 5リン オリンピックが開祭!

その頃自分はバイクの販売会社に「整備士」・? として入社しました、小僧どもの憧れの仕事・・・? だったか ナッ!

憧れていたのは自分一人だlったのでしょう、オリンピックがテレビで放映された「白黒」の映像の時代でした。

混合油とエンジンオイル ❓

その当時は「映画」も色付を 天然色映画と呼んでいたし「カラ-」と呼ぶようになったのはもう少し後になってからだと記憶している!

日曜出勤などは回り順繰り「従業員」の員数でいつかは当たってくるのです。「働き方改革」などあるはずがなかった。

1964年 東京陸上競技場で開会の前の各国選手団の行進を白黒画像で日曜出勤に当たってしまった自分が修理工場で一人で見ることになった。

ラッキ-だったか、日曜日なので来客もなかった「オリンピック」の放映もあったからかもしれませんが・・?

エッ ・来客ダ! ?

自分は機械が好きで特に燃料を入れればいつまでも動く動力は好きだった。

当時の動力は「モ-トル」電気で回る動力と, 自動車は貨物車が多かった、自転車は、高級取りの自分の給料では高値の花でした。

日曜出勤のその日は自分一人の出社なのです、分からなことを聞ける整備士の社員もいないのです・・!

テレビジョンを独占して!

バイクのエンジンが かからないと言って、手押しでバイクを引っ張り工場に入ってくるお様が来た・・?

エンジンが始動しない!自称、整備士・・の自分としては基本通り燃料の確認スパ-クプラグとスパ-クピストンの作動状況(動くか?)

簡単な確認ではすべて良好なのです・・・?
但しこのエンジン・?オイルが入っている(オイルタンク)がないしオイルの入っている量を調べるゲ-ジがみあたらない・・・??

スパ-クプラグを新しく交換してキックを踏んでも・? ウンともスンとも始動しないのです。

バイク オ-トバイその時は マダ セルモ-タ- などなかったのです。

但しキックを踏んだ時のピストンの音が今迄自分が経験したこと無い音なのです・・・?

今日は日曜日で詳しい「整備士」も休日なの出勤していない・・・?
自称・整備士の日曜出勤の自分ではこのオ-トバイを直すことは出来ません、明日全員社員が出勤しますそこで見てもらいますから・・?
と! お願いをして帰ってもらい・テレビでオリンピックの放映を見ていた・・・?

始めて知l知った・!

ガソリン(揮発油)を爆発させて回転しているエンジンには 2種類あるそれは!

エンジンオイルをエンジンの中に入れて置くのと始めからエンジンオイルを燃料「ガソリン」「揮発油」に混合させて爆発回転をさせるタイプの 2種類あることを初めてしったのです。

4サイクルと2サイクル

自称・整備士が直す事が出来なかったのは、混合油の燃料で爆発しエンジン がかかるタイプ 2サイクルのエンジンだったのです。

2サイクルのエンジンが始動出来ないのは、タダ キックを踏んでエンジンを回していたためクランク室に燃えない燃料だたまりスパ-クプラグまで混合油が上がってしまいプラグが濡れれスパ-ク出来ずエンジンが始動出来なかったのです。

翌日にベテラン覧整備士も出社してきたので恥も外聞も捨てて前日のオ-トバイのエンジン始動が出来なかったこと伝えると ウン これか?と言ってクランク室の下にある ドレンボルトを外してクランク内の燃料をぬいたのです。


そうすると 燃えないでクランクにたまった混合油がドットできたのです・?

これで KO だぞ クランクを踏んでみな・・・!と免許の整備士が言うのでクランクを踏むと そのオ-トバイが爆音と立てて始動をはじめたのです。

自称整備士は今まで 4サイクルのエンジンしか修理してこなかったので2サイクルのエンジンは全く素人だった・・?

エンジンの潤滑油を初めから燃料に混ぜた「混合油」のエンジンのクランク室に潤滑油を入れて置くタイプのエンジン・・・・?

オ-トバイのエンジンに そんな違いがあった事を その時初めて知ったのです。 へェ-そうだったのかと・・?

その当時に 自分があこがれたオ-トバイ・・?
バイク オ-トバイ

 自分が記憶している当時のオ-トバイは!125ccクラス・? ダッタのか・・?

 ト-ウハツ (東京発動機)

 メグロ 大排気量(白バイでよく見た)

 スズキ コレダのオートバイは有名

 ヤマハ オ-トバイだった・?

  ホンダ オートバイ大排気だった。

その他にもあったのでしょうが忘れてしまいました。
ホンダ技研のス-パ-カブがオ-トバイの世界をかえるようになるまで2サイクルのメ-カ-は頑張っていたと思います。

ヤマハ コレダ ト-ハツ ジャイアント 等のメ-カ-は2サイクルエンジンのオ-トバイだったと記憶しています。

おわりに
4サイクルのエンジン「ス-パ-カブ」が出回るまでは2サイクルエンジンのオ-トバイが主流だったはずです。

自称整備士もオ-トバイの部品販売会社に転勤させられて、部品の販売先、自転車店に訪問すると「ホンダ」か・・?
オ-トバイは2サイクルがいいんだ ヨッ?  と軽くあしらわれていたものでした。

それも「ホンダ」のス-パ-カブ50㏄のバイクが出て二輪業界も変わってきたと思う。